渡良瀬遊水地・谷中湖の水鳥たち、そして旧谷中村遺跡

谷中湖の水鳥に会いに出かけました。駐車場から最初の橋を渡って谷中湖に出るとすぐに出迎えてくれたのはカンムリカイツブリでした。潜るとしばらく浮かび上がってきません、見ているのとまったく違う方からポッと浮かび上がってきます。近くではカラスが行水していました。
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ハート形の谷中湖の右心房に架かる橋の右手にはカモ類とオオバンが波に揺られています。
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右心房から左心房に移るところに足尾鉱毒事件で廃村にさせられた旧谷中村に続く道と公園があります。公園にはセキレイがいました。
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左心房を渡っていくとカワウの集団が目に入ってきました。
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道路上ではオオバンが草をついばんでいました。
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道路脇には真っ赤に熟した植物の種がきれいです。
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旧谷中村にも立ち寄りました。
共同墓地、延命院への入り口です。
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足尾鉱毒を沈殿させるために谷中村は強制的に廃村させられました、国会議員だった田中正造は村民と共に廃村に反対し足尾銅山の操業中止を求めて闘いましたが時の政府は官憲を使って公害闘争を弾圧しました。田中正造は議員を辞職し公害闘争に一身を捧げますが聞く耳を持たぬ政府に対して田中正造はついに天皇直訴事件を起こします。1907年には廃村に最後まで抵抗していた16戸が強制破壊されます。
谷中湖造成の際に共同墓地ゆかりの人々がブルドーザーの前に立ちふさがり身を挺して墓石の撤去を阻止しました。これを機に「旧谷中村の遺跡を守る会」が建設省と交渉を重ね設計を変更させ遺跡は守られました。その結果現在のハート形の谷中湖が出来上がりました。「遺跡を守る会」は現在も案内板の整備やガイドなども行っています。
共同墓地の現在の様子です。
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村の田畑だった場所は葦原となっています、所々に点在する屋敷林が当時の面影を感じさせてくれます。
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