「花子とアン」そして「わろてんか」そして今「戦える国づくり」?

イメージ 1
NHKBS「花子とアン」は戦後に突入。花子は戦中にラジオで戦意高揚の子供ニュースを担当したことに悩み、戦後の番組出演に躊躇している、兄やんも憲兵として行った自分の責任に悩んでいる、教師のあさいちはお国のために立派な兵隊に成れと教えてきた自分に悩んでいる。軍人も市民もみんなが戦争で人生を翻弄された。「わろてんか」はいよいよ長男が出征、おてんちゃんは明日出征の長男に向かって「必ず帰ってこい」という、表立ってそんなことを言ったら「非国民」と言われた時代、おてんちゃんの言葉はすべての母親の思いだったのではないか。翌朝の出征の場面では「武運を祈ります」と一言。万歳三唱のなかで戦地へ息子を送りださなければならなかった全国の母親たち、戦後、二度とこんな思いはしない、させないとの思いが「日本国憲法」には詰まっている。その憲法の一番大事なエキスが今変えられようとしている。「戦争をしない国」を続けるのか「戦える国」に作り替えるのか、これは自衛隊が海外で戦闘行為に加わるだけの問題ではない、日本が戦争に巻き込まれる危険性を内包しているという事、子や孫の世代へ「戦争が出来る国」に変えた憲法を手渡していいのか?出征を見送った多くの母親たちの悲しみをまた繰り返させるのか?忘れ去っていいのだろうか?それが今、私達市民にも問われているのだと思う。